山をやらない人にはいまいちピンと来ないかと思うが、大分県の竹田市の南に位置し、もっと南に行けば宮崎の高千穂峡何かもある様なところ。
そして、縦走とは尾根づたいに幾つもの山を越えて行く事を言う。
まぁ、簡単に言うと九州で一番山深いところで三日間かけて山沿いをぐるぅ〜っと一周してきたと言う事。
一日目
前田氏が仕事を早くあげて来たので金曜の23時頃に福岡を出発。
途中サービスエリアや、コンビニに寄りつつ2時頃に登山口に到着。
駐車場を探したが見つからず、バス停の横の空き地に車を止めて車中泊する。
緊張と祖母の不気味な雰囲気で目を閉じても眠れず、結局起床時間の5時まで起きていた。
5時。
結局駐車場が見つからなかったため車道を下って、三日目に下山予定の傾山登山口の駐車場に車を止め、6時に出発。
下ってきた車道を一時間程登り、登山口にやっと到着。
登山届を記入し、いざ出発(実は登山届書くの初めて)。
ここから、山の稜線まで三時間かけて一気に高度を1000m程あげる。
一気に高度を1000m上げる山など九州ではココしか存在しない。
九州の山は登山口である程度標高があるので登っても標高差500mとか600mくらいがほとんどなのだ。
この急登がホントしんどい。しかも、このコース登山客が少なく若干荒廃してるため道が非常に分かりにくい。
また朝一番に山に入るとクモの巣にすごくストレスを感じる。
コースタイム通り、きっちり三時間かけて始めのポイント「前障子岩(1409m)」に到着。
ココからの展望は非常に素晴らしく北の方は九重がハッキリと見渡せる。
写真で言うと左から九重連山、大船山。一番右に見える独立峰はきっと由布岳。
小休憩を入れ、出発。
っと思いきや、登山道の先は崖っぷち。
非常に焦る。
テンパったあまり、その崖っぷちを無理矢理下ったものの赤テープが見つからない。
そしてこんな崖っぷち降りるなんて登山道としてあり得ないのでいったん戻り、ザックを置いて登山道を探す。
すると踏み跡の薄い道の先にカピカピの赤テープを発見。
むりやり突き進むと崖と崖の谷間に。
またココでも道が分からなくなった。
またもやザックを置いて登山道探しを始める。
すると崖と崖の間の谷間の崖を3m程下ったところにまたもやカピカピの赤テープを発見。
ザックを投げ降ろし、その道を信じて進むと大きな道に出た。
あとあと教えてもらったのだがこの道は根本的に違ったらしく、前障子からちょっと戻ったところに分岐があったらしい。
前障子を登る時にその分岐をキツさのあまり見落としていた。
どおりで、ありえない道なはずだ。
おかげで一時間以上ロスしてしまうハメになった。
その後はアップダウンの激しい登山道を順調に突き進む。
っと言ってもあいかわらず道は非常に悪く、笹竹で登山道が消えているところもあり、精神面で参ってくる。
振り返ると今まで登ってきた岩場や崖なんかがすごくカッコ良く見えるのだが、「スゴい!」ではなく「ヒドい!」としか言葉が出ない程。
何の為に登ってんのやら。
祖母山に近づくにつれて、登山道には雪が見え始め、一日中陽のあたらない場所なんかは巨大なつららが出来ていた。
精神的にも落ち着いてきて、面白いなぁと感じ始めたら今度は水が切れる…
地図に載ってある水場を注意深く探しながら登山道を進んだが見つける事ができず、通り過ぎちゃった。
残るは祖母山九合目小屋の水場だけなのでクタクタになりながら小屋まで進んだ。
15:20頃、祖母山九合目小屋に到着。
素泊まりオンリーの小屋なのにソーラー発電も風力発電もある!
これにはホントびっくり。
中はホカホカで先客のおじちゃんおばちゃんが合コンチックに盛り上がっている。
当初の予定ではテント泊なので小屋泊まりにするか迷ってたら、気さくな小屋主が一言。
「最近朝は-10℃位いくよ〜」
これが決定打となり、2300円払って小屋に素泊まりする事に。
小屋の中では50歳代や30歳代などの比較的若い登山客に混じりテーブルの上でガスコンロを広げ、自炊。
これがまた非常に楽しかった。
言葉では表現出来ないが、そこには山登る人だけの所謂「山コミュニティ」があって、あの山はどうだったとか、この道具はどうだとか。
祖母山初めてで、完全縦走、しかも上畑登山口から。と言うと非常に驚かれた。
完全縦走するのは反対側(傾山)からの方が一日目の行程が短いので一般的らしく、ただえさえ九州で一番険しい縦走路なのに実質それを逆側から登った僕らは結構すごかったらしい。
(このルートを進めてくれたシェルパの店長さんは難題を押し付けていたのか?笑)
酒を飲みながら、二日目の登山道の状況や水場などの情報を仕入れたり、8時位まで話し込んでいた。
それから、やっと二階にマットとシュラフ(寝袋)を広げ就寝。
初めてのシュラフでの就寝。
暑いのか寒いのか訳が分からず、変な感じ。
結局夜中に何度も起きたりして熟睡できなかった。
二日目
前日話していたおじさんに5時に出たら余裕を持って行動出来ると言う事なので5時に出発するつもりだったが、普通に寝過ごした。
結局、6時に起きてそれから朝食を取ったりして7時に出発。
昨日の前半飛ばし過ぎて、後半の休憩が以上に多かった反省を生かし、今日は何が何でもゆっくり歩く事にした。
飛ばして休憩を多く取るよりも、ゆっくり歩いて休憩を少なくした方が早い。
「うさぎとかめ」と一緒だ。
出発後、20分くらいで祖母山山頂へ。
まだ陽が完全に上がってなくて若干薄暗い。
所々、岩場の上に積もった雪が溶けて凍結している足場もあった。
その後裏手にある崖をロープや梯子を使い降りる。
前日に小屋で仕入れた情報もあったので気持ち的に非常に楽に歩く事が出来た。
古祖母山の山頂からは雪も無くなり、緩やかな下りと緩やかな登り。
これぞ、縦走路(尾根道)と言う感じ。
二日目の宿泊地「九折(つづら)越小屋」の付近の水場はちょっと分かりにくいらしいので、本日のルートの中間地点をちょっと過ぎた辺りの水場で休憩がてら水を汲む事にする。
これがめちゃめちゃ重い。
僕のプラティパスは2,7ℓくらい入るはずだから一気に約3kgがただえさえ重いテント装備のザックにのしかかる。
慣れるまでの一時間は全く声が出なかった。
途中、笹竹のトンネルを抜けたり、真っ赤に染まった落ち葉の上をワシャワシャ歩くこと数時間。
15時20分頃に「九折(つづら)越小屋」に到着。
九折越小屋は昨日の九合目小屋とは違い、無人で板の間の小屋と10m程歩いたところに簡易トイレがある程度。
この簡易トイレ、扉がぶっ壊れていて外れていた。笑
予報どおり天気も下り坂。
目の前にある明日登る予定の傾山もガスで霞んであんまりみえない。
とりあえず暖かいスープでも飲んで、疲れたので仮眠をとる。
17時を過ぎた頃に年配の方が5人程小屋に入ってきて起きる。
外は真っ暗ですんげー雨降ってる。
おかげで気温は一日目よりも下がらなかったが、明日の日程が思いやられる。
前田氏を起こし、夕食。
前田氏曰く、山行で一番楽しみなのが夕食なんだけど、家から持ってきたレトルトカレーの「LEE」が辛すぎて腹くだす。
扉がぶっ壊れてる大開放的トイレに飛び込む。
その後、おばちゃん達の雑談をBGMに就寝。
三日目
この日はばっちり5時起き。
外は小雨が降っていて、視界20m程度のガス。
前田君は下山したがっていたが、傾山を目の前に下山するのは悔しすぎる。
そして、俺は諦める勇気がない!
雨具に着替え、ザックカバー装着後、傾山に出発。
ところが、20mくらい進んだところで立ち止まる。
一人で色々考えてたら、諦める勇気よりも、登る勇気が無くなってきた。
この雨も止むどころかヒドくなる一方だし、傾山の山頂付近は岩場が結構あってきっとこの雨で滑る。
ガスで視界悪い。
雨も酷くなる。
ザック重い。
岩場滑る。
滑ったら死ぬ。
水もほとんどない。
雨具蒸れる。
きつい。
だるい。
…帰りたい。笑
ってことで傾山を登らずに下山。
祖母・傾完全縦走未達成!!!!!
ほんとしんどかったんで写真は全然撮ってません。
2008年11月27日木曜日
2008年11月5日水曜日
【宝満山】山登りはさいこーだ!
2008年10月27日月曜日
【北アルプス】僕の山小屋日記1
そういえば今日は27日。
僕が10月までいた小屋の系列の小屋も営業を20日で終了したんだねぇ〜。
ふと思い出したよ。
僕が入山したのは6月30日。
前日に高山で支配人の方や一緒に働くバイトの飲んだのがつい最近のようで懐かしい。
その日から禁煙を決意して、タバコ我慢して飲む酒はまずかったなぁ〜。
初めての北アルプスを前日に控え、変に緊張して強がったり、禁煙一日目と言う事もあって吸いたい衝動にも駆られたりして、頭の中でハットリ君の頬にあるような渦巻きがグルグルと回っていた。
入山当日。
登山口では天気も良くなく、ガスってて霧雨が少し。
レインウェアと緊張で吹き出る汗、雪、初めての重い荷物、この日の為に買ったまだ履き慣れない真新しいブーツ。
ほんとキツくてしょうがなくて小屋の人達について行くのが精一杯だった。
幾度と続く雪渓。雪渓。雪渓。雪渓!
ピッケルもアイゼンも使わずにラッセル。
ラッセルと言っても雪は深いがコチコチなので先頭の人間が雪を蹴り足場を作って一歩一歩進んで行く。
はっきり行って本当にしんどくて、もうここまで来てしまった自分に何度も後悔した。
途中、ガスが少し抜けて振り返って山の稜線を見ると今まで写真でしか見たことの無かった山の風景がそこに広がった。
一気にキツさが抜け…とはいかないが初めて見るその山容には感動した。
名も分からない山の稜線だがそこには僕が想像していた以上の「山」が合ったし、その中に今自分がいる事がすごく幸せだった。
しばらく登ると二つ目の系列の小屋を過ぎた辺りで雲の切れ間から槍ヶ岳が顔を覗かせる。
ほんと絵に描いた様な見事なとんがり具合。
憧れてた山がすぐそこにある。
しかし、すでに広大な北アルプスと言う山々の中にいる事だけで満足で、「ほぅ〜あれかぁ〜」っと若干高ぶる鼓動を抑えカッコ良く通り過ぎた。
単に自分がいっぱいいっぱいでそれどころじゃなかった、ってのもある。
その日は系列の三つ目の小屋で一晩お世話になる。
疲れもあり、結構飲んだがその日の夜は良く覚えていない。
ただ外で初めて見た小屋からの星空は物凄くきれいだったのは良く覚えている。
ちょっと度がある眼鏡を借りて見るとまるでホコリのように星が無数に浮かんでいる。
もともと星座に詳しいわけでもない。
オリオン座とか、柄杓の様な北斗七星くらいなら僕にだって分かる。
しかし、星座の区別がつかない程の星の量。
天の川はまるで飛行機雲のように山の稜線から反対側の山の稜線まで連なっていた。
僕が10月までいた小屋の系列の小屋も営業を20日で終了したんだねぇ〜。
ふと思い出したよ。
僕が入山したのは6月30日。
前日に高山で支配人の方や一緒に働くバイトの飲んだのがつい最近のようで懐かしい。
その日から禁煙を決意して、タバコ我慢して飲む酒はまずかったなぁ〜。
初めての北アルプスを前日に控え、変に緊張して強がったり、禁煙一日目と言う事もあって吸いたい衝動にも駆られたりして、頭の中でハットリ君の頬にあるような渦巻きがグルグルと回っていた。
入山当日。
登山口では天気も良くなく、ガスってて霧雨が少し。
レインウェアと緊張で吹き出る汗、雪、初めての重い荷物、この日の為に買ったまだ履き慣れない真新しいブーツ。
ほんとキツくてしょうがなくて小屋の人達について行くのが精一杯だった。
幾度と続く雪渓。雪渓。雪渓。雪渓!
ピッケルもアイゼンも使わずにラッセル。
ラッセルと言っても雪は深いがコチコチなので先頭の人間が雪を蹴り足場を作って一歩一歩進んで行く。
はっきり行って本当にしんどくて、もうここまで来てしまった自分に何度も後悔した。
途中、ガスが少し抜けて振り返って山の稜線を見ると今まで写真でしか見たことの無かった山の風景がそこに広がった。
一気にキツさが抜け…とはいかないが初めて見るその山容には感動した。
名も分からない山の稜線だがそこには僕が想像していた以上の「山」が合ったし、その中に今自分がいる事がすごく幸せだった。
しばらく登ると二つ目の系列の小屋を過ぎた辺りで雲の切れ間から槍ヶ岳が顔を覗かせる。
ほんと絵に描いた様な見事なとんがり具合。
憧れてた山がすぐそこにある。
しかし、すでに広大な北アルプスと言う山々の中にいる事だけで満足で、「ほぅ〜あれかぁ〜」っと若干高ぶる鼓動を抑えカッコ良く通り過ぎた。
単に自分がいっぱいいっぱいでそれどころじゃなかった、ってのもある。
その日は系列の三つ目の小屋で一晩お世話になる。
疲れもあり、結構飲んだがその日の夜は良く覚えていない。
ただ外で初めて見た小屋からの星空は物凄くきれいだったのは良く覚えている。
ちょっと度がある眼鏡を借りて見るとまるでホコリのように星が無数に浮かんでいる。
もともと星座に詳しいわけでもない。
オリオン座とか、柄杓の様な北斗七星くらいなら僕にだって分かる。
しかし、星座の区別がつかない程の星の量。
天の川はまるで飛行機雲のように山の稜線から反対側の山の稜線まで連なっていた。
2008年5月26日月曜日
【英彦山】おいでなさい!
福岡県民が愛してやまない山、秋の季節には紅葉を観に若い人も集まる山、税金無駄遣いのロープうぇ…
と言うことで今回は英彦山に行って参りました。
今まで家族で何度か訪れたことはあるんだけど、登山は今回が初めて。
ウチのおかんや、おばあちゃんも口を揃えて
「岩場が危ない!」
と言う結構険しい山だそうで、大昔は修羅道の山として栄えていたらしいです。
修羅道が栄えると言う表現はおかしいかもしれませんが。
参道の石段はあまりにも有名でかなり長い。
どのくらい長いかと言うと、ロープウェーが出来るほど長い。
銅の鳥居や、雪舟庭園なんかが有名ですね。
あっ、別に説明はいりませんよね。
なんか面倒臭くなってきちゃった。
前日が雨で、今日は昼前には晴れになる予報だがあたりには霧が立ちこめて何とも居心地が悪い。
湿った林の中を歩くのは薄暗くて不気味。
尚かつ、ここにはかつて山岳信仰が栄えていて沢山の史跡が残っているため当時の石垣なんかもそこら中にある。
夜中には絶対に行きたくないね。
英彦山神宮(奉幣殿)から40分程登ったり下ったりの標高が全く上がらないような山道を抜けると岩壁に埋め込まれたような出で立ちの玉屋神社に到着。
まるで大分の耶馬渓にある羅漢寺のようだった。
神社の裏手の方から水が湧き出ていると言うが、溜まった水に柄杓が置いてあるだけで決して湧いているようには見えなかった。
しばらく休憩を取り、先に進む。
途中、年配者の団体さん。
20人くらいはいるだろうか?
挨拶を交わし、頭を下げながら追い抜かせていただく。
はっきり行ってこういう人達の神経が分からない。
皆で行くと怖くないって奴か?
鎖場で一つのロープを数人で持ちながら降りるのは勘弁してくれ。
あんまり書くと「大して山を登ったことの無い若造が」と反感食らいそうなので止めときます。
山は気の知れた友人3、4人ぐらいベストだ。
多すぎるのは逆に恐ろしい。
同じような薄暗い山道を30分くらい進み、鬼杉と呼ばれる場所に着く。
福岡県で最も大きな杉の木らしく、たしかに立派。
英彦山は透き通っている泳げそうな川が沢山あって妙に納得した。
そして、こんな杉林の中に花粉症の人が来たらどうなるのかなぁと、くだらない妄想を抱く。
ここからは今まで標高が上がらなかったツケか、傾斜がキツい道が山頂まで続いた。
途中にあった材木石と言われる切れ目が無数にある石。
溶岩が急激に冷え固まるとこんな風になるんだって。
そういえば、昔行った高千穂峡もこんなだった。
息か切れてバテバテの中、垂直に近いような岩場が何度も続く。
寝不足のせいか、どうしようもなくヘコたれていたので写真はありません。
それどころじゃありませんでした。
フラフラ登っているとようやく英彦山南岳山頂(1200m)に到着。
後から来る団体さんを恐れて、水分補給する程度で中岳に向かう。
ものの5分程で英彦山中岳山頂に到着。
中岳の山頂は英彦山神宮の上宮が建てられていて、普通の神社と変わらない大きさの建物がドカーンと居座っている。
相変わらず霧で霞んでいるような天気なのに人が以上に多い。
休日はこんなに賑わうものなのかなぁと疑問に思っていたら、黄色い雑のうのような生地の厚くて荒いリュックを担いだ町の職員らしき人達がずらずらと境内に。
賽銭箱の横の方に封筒のような大きさのものを沢山並べている。
ほかの登山客が頂いているので、僕も並んでいただくと手拭いだった。
なんとたまたま登ったこの日が英彦山の山開きだったらしく、山頂で記念の手拭いが配られていたのだ。
北岳の方向に下った所にある広場で昼食をとり、相方のMくんが用事があるようなので帰りは上宮から英彦山神宮まで真下に伸びる石段の登山道をおりて帰った。
宝満山の正面ルートにそっくりだった。
登山をして山頂で手拭いをいただくなんて、何だかとっても運が良いし、気分も良い。
きっと、ウチのおばあちゃんにこの事を伝えるとこう言うはず。
「あんた、今のうちに宝くじ買ってこんね!」と。
(すんません、こんなオチで)
ほかの写真はこちらから。
http://www.flickr.com/photos/okushidasan/
タイトルの「おいでなさい!」とは、子供の頃の良く流れていたローカルCMのセリフから。
裸の王様役の社長が部下を引き連れて歌うやつ。
いこう、いこう、英彦山へ~♪
いこう、いこう、ゆ~ゆ~へ♪
ゆっくり、のんびり、たのしい~♪
英彦山湯~遊~共和国♪
おいでなさい!
英彦山と言えば僕らはこのイメージが強いが、この共和国は英彦山と銘打つのが詐欺に思えるほどずっと北にある。
どおりで英彦山の駐車場の案内板を見てもどこにも載っていないわけだ。
ほんでもっと調べてみたら、去年倒産したらしい…
2008年5月21日水曜日
【九重連山】若気のいたりコースin九重
宮崎県の高千穂峡を越えた所にある、「大崩山(おおくえやま)」に行きたかったんだけど片道で5時間以上もかかるため断念。
「どげんかせんといかん!」じゃ無いけれども、宮崎には高速は必要です。不便です。
結局、福岡から2時間弱で行ける「九重山」に登ってきました。
●6:20
牧ノ戸峠登山口(1330m)を出発。
天気にも恵まれて、最高の登山日和。
今回のルートは山口君に九重のほとんどを知ってもらうため&自分が行っていない山の穴埋め&山小屋生活に備えてということでカナリハード。
というのも平治岳や大船山はさすがに行けないけど、それ以外の山をほとんど網羅するという言わば「若気のいたりコース」。
そのため、ペースも普段よりも1,5倍。
●6:40
沓掛山(1503m)山頂。
牧ノ戸から登るとルート上にある山。
前回きたときは山頂に表札があるとは気づかず通り過ぎていた。
沓掛山を過ぎると中心部の景色が一気に開ける。
前回登ったときは雪とガスのせいで景色が全く分からず、地図とコンパス、案内板を頼りに進んでいたので九重の風景を観るのは実質初めて。笑
前回登った時は辺りがガスと霧氷で真っ白だったので、九重のほとんどが禿げ山でガレ場ばかりだと勘違いしていた。
●7:10
星生山分岐
前回は分岐地点がガスのせいで諦めたのだが、今回は晴れていたので無事に見つける事ができた。
星生山に連なる尾根に進む。
●7:30
星生山(1762m)山頂。
九重のほとんどの山を見渡せて、非常に景観が良い。
眼下には立ち入り禁止の硫黄山(火山活動中)も丸見えで白い煙がモクモクとあがり、その名の通り硫黄臭かった。
しばし、休憩。
その後ゴツゴツとした岩場の尾根を進み、バイオレットトイレのある避難小屋へ。
●8:10
避難小屋でまたも小休憩をとり出発。
久住分れを通り過ぎ、天狗ガ城へ。
●8:40
天狗ガ城(1780m)山頂。
虫がだんだんと襲ってきたので記念撮影を済まし、すぐに移動。
この時期は小蠅みたいな小さな虫が山頂でお祭りをやっているので困る。
出来れば別の場所でやって欲しい。
●8:55
九州本土最高峰、中岳(1791m)山頂。
この瞬間、九州本土に住んでいる何万人という人の中で自分たちが一番上に立っていると考えるとやっぱり興奮しちゃう。
景色はそれほど大した事は無いんだけどね。
しかし。
やっぱりここでもバグズフェスティバル開催中で、記念撮影を済まし下る。
●9:20
稲星山(1774m)山頂。
ここは九重の中でも南に位置するので阿蘇の方もきれいに見渡せた。
なんとここがバグズフェスティバルのメインフィールドらしく、参加人数もハンパない。
盛り上がり過ぎてまともに飯すら食えやしねぇ。
口を開けただけでも中に虫が入ってきそうだ。
10分後には久住山に行く尾根道を進み始める。
●9:50
久住山(1787m)山頂。
なんと、前回来た時には無かった新しい表札が!
なかなか渋いが山岳会の名前が入ってる所が嫌らしい。
もう言い飽きたがここもフェスティバル。
お決まりの記念撮影後山頂にいた年配の女性の方と少し話し、避難小屋に戻る。
●10:15
久住別れを過ぎ、避難小屋に戻る。
さすがに日も照り始め、2L持ってきた水が既に残り1ℓと200mlくらい。
インスタントラーメンに500mlは必要なのに、この状況。
しかも、僕は山の水は怖くて飲まないのでインスタントラーメンは諦める事にする。
水源の湧き水なら少し妥協はするが、九重ではそんな水源見たこと無い。
山の水はきれいと言う考えは今の時代あり得ないと思う。
登山客や観光客がわんさか集まる有名な山は大抵はその人間の糞尿で汚染されてる。(はずだ)
九重ではきっと法華院山荘くらいじゃないとまともな水は飲めないと思う。
●10:35
おにぎりを二つ食べていざ出発。
小屋から出ると、小学校低学年くらいの集団。
みんな元気が良くて、走って友達追い抜いたり、手をつないで歩いたり。
久住分れから北千里浜に下ると今度は高校生?中学生?の集団。
50人ぐらいすれ違うので挨拶がめんどくさくなって、こちらからは挨拶しなかったが結構向こうから挨拶してきて感心した。
まぁ、ムサシ(僕の母校)よりは劣るけどね。
●11:00
北千里から左にそれて、すがもり小屋(すがもり越)に到着。
母や祖母の話を聞くとココには以前、木造の小屋があったそうな。
今では硫黄山の噴火のせいか、石垣をコンクリートで固めた小屋と鐘が残っていた。
疲れきった山口君を説得し、小休憩後に正面にそびえ立つ三俣山へ。
●11:35
三俣山西峰(1678m)到着。
着いたら、その奥に二つの峰が。
三俣山はその名の通り三つの峰がある。
山口君はもうギブアップのようなので、すがもり小屋で合流することにし一人で本峰と南峰を目指す。
●11:50
三俣山本峰(1745m)
山頂では一人で記念撮影を撮る年配の方がいたので写真を撮ってあげる変わりに自分の記念撮影もお願いする。
向こうに見える峰が南峰らしいのでそこに向かう。
●12:00
三俣山南峰(1743m)
誰もいない。
とりあえず、周囲の風景を撮影し下山。
ピークを通らない若干の近道を通りすがもり小屋へ。
●12:25
すがもり小屋に着いたのは良いが様子がおかしい。
ここには詳しくは書かないが、リュックを小屋の裏の岩の隙間に隠してこれからまた三俣山西峰を登って下る。
もう、足が笑うとかそんな次元を越えて普通だ。
これが中学の部活で監督が試そうとした「超回復」か?
●13:10
リュックを回収し、すがもり越から長者原方向に出発。
硫黄山が噴火した場合の土石流止めの周りの登山道(細い車道)を通り、長者原へ。
途中石垣の跡のようなものがあり、こんな場所に城跡が?と興味をそそられる箇所があった。
●14:10
長者原に到着。
車を止めている牧ノ戸峠まで戻る必要があるので時刻表を確認するも次は15:30。
タクシーの運転手に「乗るか?」と尋ねられるが、売店に寄ってタクシーに乗ることにする。
が、売店の自販機でジュースを買っていると中田カウスを少し太らせた風貌のおっちゃんに話しかけられ、15:00まで暇だから送ってくれるとのこと。
このおっちゃんが気さくでとってもいい人だった。
おっちゃんの車で牧ノ戸まで送ってもらい、タクシーの運転手には悪いことをした。
・今回のルート
牧ノ戸峠→沓掛山→星生山→久住分れ→天狗ガ城→中岳→稲星山→久住山→久住分れ→北千里浜→すがもり越→三俣山西峰→三俣山→三俣山南峰→三俣山→三俣山西峰→(すがもり越→三俣山西峰→)すがもり越→長者原
九重はまるでバイキングみたいに山を選べる。
比較的簡単に九重山や中だけにも行くことが出来て、平日でも年配の登山者で賑わっていた。
今回はその山選びの安易さから、主要な山々を登り過ぎた感が否めないがなかなか楽しむことが出来た。
あと少しするとミヤマキリシマとかが咲き始めて、もっと素晴らしい景観が得られるのだと思う。
はぁ〜疲れた。
「どげんかせんといかん!」じゃ無いけれども、宮崎には高速は必要です。不便です。
結局、福岡から2時間弱で行ける「九重山」に登ってきました。
●6:20
牧ノ戸峠登山口(1330m)を出発。
天気にも恵まれて、最高の登山日和。
今回のルートは山口君に九重のほとんどを知ってもらうため&自分が行っていない山の穴埋め&山小屋生活に備えてということでカナリハード。
というのも平治岳や大船山はさすがに行けないけど、それ以外の山をほとんど網羅するという言わば「若気のいたりコース」。
そのため、ペースも普段よりも1,5倍。
●6:40
沓掛山(1503m)山頂。
牧ノ戸から登るとルート上にある山。
前回きたときは山頂に表札があるとは気づかず通り過ぎていた。
沓掛山を過ぎると中心部の景色が一気に開ける。
前回登ったときは雪とガスのせいで景色が全く分からず、地図とコンパス、案内板を頼りに進んでいたので九重の風景を観るのは実質初めて。笑
前回登った時は辺りがガスと霧氷で真っ白だったので、九重のほとんどが禿げ山でガレ場ばかりだと勘違いしていた。
●7:10
星生山分岐
前回は分岐地点がガスのせいで諦めたのだが、今回は晴れていたので無事に見つける事ができた。
星生山に連なる尾根に進む。
●7:30
星生山(1762m)山頂。
九重のほとんどの山を見渡せて、非常に景観が良い。
眼下には立ち入り禁止の硫黄山(火山活動中)も丸見えで白い煙がモクモクとあがり、その名の通り硫黄臭かった。
しばし、休憩。
その後ゴツゴツとした岩場の尾根を進み、バイオレットトイレのある避難小屋へ。
●8:10
避難小屋でまたも小休憩をとり出発。
久住分れを通り過ぎ、天狗ガ城へ。
●8:40
天狗ガ城(1780m)山頂。
虫がだんだんと襲ってきたので記念撮影を済まし、すぐに移動。
この時期は小蠅みたいな小さな虫が山頂でお祭りをやっているので困る。
出来れば別の場所でやって欲しい。
●8:55
九州本土最高峰、中岳(1791m)山頂。
この瞬間、九州本土に住んでいる何万人という人の中で自分たちが一番上に立っていると考えるとやっぱり興奮しちゃう。
景色はそれほど大した事は無いんだけどね。
しかし。
やっぱりここでもバグズフェスティバル開催中で、記念撮影を済まし下る。
●9:20
稲星山(1774m)山頂。
ここは九重の中でも南に位置するので阿蘇の方もきれいに見渡せた。
なんとここがバグズフェスティバルのメインフィールドらしく、参加人数もハンパない。
盛り上がり過ぎてまともに飯すら食えやしねぇ。
口を開けただけでも中に虫が入ってきそうだ。
10分後には久住山に行く尾根道を進み始める。
●9:50
久住山(1787m)山頂。
なんと、前回来た時には無かった新しい表札が!
なかなか渋いが山岳会の名前が入ってる所が嫌らしい。
もう言い飽きたがここもフェスティバル。
お決まりの記念撮影後山頂にいた年配の女性の方と少し話し、避難小屋に戻る。
●10:15
久住別れを過ぎ、避難小屋に戻る。
さすがに日も照り始め、2L持ってきた水が既に残り1ℓと200mlくらい。
インスタントラーメンに500mlは必要なのに、この状況。
しかも、僕は山の水は怖くて飲まないのでインスタントラーメンは諦める事にする。
水源の湧き水なら少し妥協はするが、九重ではそんな水源見たこと無い。
山の水はきれいと言う考えは今の時代あり得ないと思う。
登山客や観光客がわんさか集まる有名な山は大抵はその人間の糞尿で汚染されてる。(はずだ)
九重ではきっと法華院山荘くらいじゃないとまともな水は飲めないと思う。
●10:35
おにぎりを二つ食べていざ出発。
小屋から出ると、小学校低学年くらいの集団。
みんな元気が良くて、走って友達追い抜いたり、手をつないで歩いたり。
久住分れから北千里浜に下ると今度は高校生?中学生?の集団。
50人ぐらいすれ違うので挨拶がめんどくさくなって、こちらからは挨拶しなかったが結構向こうから挨拶してきて感心した。
まぁ、ムサシ(僕の母校)よりは劣るけどね。
●11:00
北千里から左にそれて、すがもり小屋(すがもり越)に到着。
母や祖母の話を聞くとココには以前、木造の小屋があったそうな。
今では硫黄山の噴火のせいか、石垣をコンクリートで固めた小屋と鐘が残っていた。
疲れきった山口君を説得し、小休憩後に正面にそびえ立つ三俣山へ。
●11:35
三俣山西峰(1678m)到着。
着いたら、その奥に二つの峰が。
三俣山はその名の通り三つの峰がある。
山口君はもうギブアップのようなので、すがもり小屋で合流することにし一人で本峰と南峰を目指す。
●11:50
三俣山本峰(1745m)
山頂では一人で記念撮影を撮る年配の方がいたので写真を撮ってあげる変わりに自分の記念撮影もお願いする。
向こうに見える峰が南峰らしいのでそこに向かう。
●12:00
三俣山南峰(1743m)
誰もいない。
とりあえず、周囲の風景を撮影し下山。
ピークを通らない若干の近道を通りすがもり小屋へ。
●12:25
すがもり小屋に着いたのは良いが様子がおかしい。
ここには詳しくは書かないが、リュックを小屋の裏の岩の隙間に隠してこれからまた三俣山西峰を登って下る。
もう、足が笑うとかそんな次元を越えて普通だ。
これが中学の部活で監督が試そうとした「超回復」か?
●13:10
リュックを回収し、すがもり越から長者原方向に出発。
硫黄山が噴火した場合の土石流止めの周りの登山道(細い車道)を通り、長者原へ。
途中石垣の跡のようなものがあり、こんな場所に城跡が?と興味をそそられる箇所があった。
●14:10
長者原に到着。
車を止めている牧ノ戸峠まで戻る必要があるので時刻表を確認するも次は15:30。
タクシーの運転手に「乗るか?」と尋ねられるが、売店に寄ってタクシーに乗ることにする。
が、売店の自販機でジュースを買っていると中田カウスを少し太らせた風貌のおっちゃんに話しかけられ、15:00まで暇だから送ってくれるとのこと。
このおっちゃんが気さくでとってもいい人だった。
おっちゃんの車で牧ノ戸まで送ってもらい、タクシーの運転手には悪いことをした。
・今回のルート
牧ノ戸峠→沓掛山→星生山→久住分れ→天狗ガ城→中岳→稲星山→久住山→久住分れ→北千里浜→すがもり越→三俣山西峰→三俣山→三俣山南峰→三俣山→三俣山西峰→(すがもり越→三俣山西峰→)すがもり越→長者原
九重はまるでバイキングみたいに山を選べる。
比較的簡単に九重山や中だけにも行くことが出来て、平日でも年配の登山者で賑わっていた。
今回はその山選びの安易さから、主要な山々を登り過ぎた感が否めないがなかなか楽しむことが出来た。
あと少しするとミヤマキリシマとかが咲き始めて、もっと素晴らしい景観が得られるのだと思う。
はぁ〜疲れた。
2008年5月6日火曜日
【普賢岳】雲仙普賢岳
長崎県の諫早から東の方に進むと見えてくる火山、雲仙普賢岳に行ってきたよ。
下調べが「珍しく」甘くて、あともう一歩で登山口という所でまさかの待ちぼうけ。
というのも、登山口に行くには仁田峠有料道路の途中のロープウェー乗り場の駐車場まで行かないといけないのだけれども、なんとその有料道路が8時からしか開かない事が判明。
いつも通り高速のETC割引を使うために4時前に出たのは良いのだが、6時に着いちゃって2時間の暇つぶし。
さすがに有料道路に開通時間があるなんて、考えもつきませんでした。
8時少し前に開いたみたいで仁田峠に到着。
荷造りを終え、登山開始。
仁田峠からロープウェーの横の登山道を登り始めるが、明らかにいつもと登山道の景観が違う。
はじめは違和感だけが、頭をよぎるだけだったのだが徐々に登るとわかった。
海がある。
何のことか分かんないでしょ?
登山道から下界をみると海が囲むように結構近い場所に見えるんだ。
普賢岳は島原半島のほぼ中心部にあってそれを囲む海が四方に見えるという事。
いままで登った山々でこんなに近くに海がみえたことはほとんど無い。
いや全くかな。
こんな風に見えるのは九州ではあと開聞岳くらいかな?
(きっと)この半島は今登っている普賢岳が作り上げたんだと考えると火山の偉大さが身にしみる。
自然ってすごい。そして怖い。
妙見神社でおみくじ引いて、妙見岳へ。
普賢岳を望み、一番高い平成新山を普賢岳といままで思い込んでいた事に気づく。
ちゃんと考えるとあんなごつごつして山頂から煙が立ってる様な所、行ける訳が無い。
少し下り、若干岩登り感覚の登山道の国見岳に到着。
山頂の地面の岩に掘って書いた落書きが。
「チエ子 34.1.4」
きっと昭和34年1月4日にチエ子さんが登って掘ったんだろう。
なんと言うか、せこい。
ベストオブ若気の至り。
明らかにあなたが生きた後がここ国見岳に残っています。
なぜか悔しさを感じました。
その後、また下っていよいよ普賢岳。
秩父宮殿下?が登った記念碑が頂上の下あった。
高千穂峰に行った時もこの記念碑があったのできっとこの方は登山が大好きだったに違いない。
今の皇太子様も登山が趣味なんだってね。
普賢岳の山頂は目の前に平成新山がドカーンとそびえ立つ。
平成新山は1990年の普賢岳噴火の際にできた山で今もなお立ち入り禁止。
溶岩ドームを形成した後であろうかテッペンには角のような石の山が。
当時の悲惨さを物語っている。
帰りはまた別の道で下る。
小鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてきて、口笛で何度も真似をしながら下山した。
きっと小鳥からしてみたらうるさかったに違いない。
そしてここまできたのなら、行かない訳が無い「島原城」!
隠れキリシタンが所有していたマリア菩薩など、西洋と中国、日本の文化が奇妙に融合した物が沢山あって非常に興味深い。
城の入り口では写真撮影用の甲冑も着る事が出来たし、僕が密かに集めてる「お城メダル」も熊本城の限定物を含め通算六個目をゲットする事が出来たし、感無量の一日でした。
相変わらず、僕のデジカメは入院中なので僕の撮った写真はありません。
下調べが「珍しく」甘くて、あともう一歩で登山口という所でまさかの待ちぼうけ。
というのも、登山口に行くには仁田峠有料道路の途中のロープウェー乗り場の駐車場まで行かないといけないのだけれども、なんとその有料道路が8時からしか開かない事が判明。
いつも通り高速のETC割引を使うために4時前に出たのは良いのだが、6時に着いちゃって2時間の暇つぶし。
さすがに有料道路に開通時間があるなんて、考えもつきませんでした。
8時少し前に開いたみたいで仁田峠に到着。
荷造りを終え、登山開始。
仁田峠からロープウェーの横の登山道を登り始めるが、明らかにいつもと登山道の景観が違う。
はじめは違和感だけが、頭をよぎるだけだったのだが徐々に登るとわかった。
海がある。
何のことか分かんないでしょ?
登山道から下界をみると海が囲むように結構近い場所に見えるんだ。
普賢岳は島原半島のほぼ中心部にあってそれを囲む海が四方に見えるという事。
いままで登った山々でこんなに近くに海がみえたことはほとんど無い。
いや全くかな。
こんな風に見えるのは九州ではあと開聞岳くらいかな?
(きっと)この半島は今登っている普賢岳が作り上げたんだと考えると火山の偉大さが身にしみる。
自然ってすごい。そして怖い。
妙見神社でおみくじ引いて、妙見岳へ。
普賢岳を望み、一番高い平成新山を普賢岳といままで思い込んでいた事に気づく。
ちゃんと考えるとあんなごつごつして山頂から煙が立ってる様な所、行ける訳が無い。
少し下り、若干岩登り感覚の登山道の国見岳に到着。
山頂の地面の岩に掘って書いた落書きが。
「チエ子 34.1.4」
きっと昭和34年1月4日にチエ子さんが登って掘ったんだろう。
なんと言うか、せこい。
ベストオブ若気の至り。
明らかにあなたが生きた後がここ国見岳に残っています。
なぜか悔しさを感じました。
その後、また下っていよいよ普賢岳。
秩父宮殿下?が登った記念碑が頂上の下あった。
高千穂峰に行った時もこの記念碑があったのできっとこの方は登山が大好きだったに違いない。
今の皇太子様も登山が趣味なんだってね。
普賢岳の山頂は目の前に平成新山がドカーンとそびえ立つ。
平成新山は1990年の普賢岳噴火の際にできた山で今もなお立ち入り禁止。
溶岩ドームを形成した後であろうかテッペンには角のような石の山が。
当時の悲惨さを物語っている。
帰りはまた別の道で下る。
小鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてきて、口笛で何度も真似をしながら下山した。
きっと小鳥からしてみたらうるさかったに違いない。
そしてここまできたのなら、行かない訳が無い「島原城」!
隠れキリシタンが所有していたマリア菩薩など、西洋と中国、日本の文化が奇妙に融合した物が沢山あって非常に興味深い。
城の入り口では写真撮影用の甲冑も着る事が出来たし、僕が密かに集めてる「お城メダル」も熊本城の限定物を含め通算六個目をゲットする事が出来たし、感無量の一日でした。
相変わらず、僕のデジカメは入院中なので僕の撮った写真はありません。
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